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【新連載】

更新日:2022年7月24日





古くから民話や説話などで各地に伝わってきた「怪力女」の物語。

彼女たちを描いた本を手がかりに、生きた時代や土地の背景、ライフストーリーを綴るリレーエッセイです。

フィジカルに強かった女たちを現代の視点で読み直すと、エンパワメント

されたり、ルッキズムを吹き飛ばしてくれたり……。あるいは、決して「標準」を外れた「例外」ではなく、人間はみな同じということも教えてくれる存在と

して、今によみがえってくるかもしれません。


第1回目は、信州の巴御前。長野県出身の女性史家・もろさわようこさんの

『信濃のおんな』をひもときながら、もろさわさんに関する著作もある信濃毎日新聞の記者・河原千春さんが巴と現在をつなぎます。もろさわさん、『鎌倉殿の13人』で巴御前を演じた秋元才加さんへの取材も活きた、濃厚な巴論です。


 

巴の魂が問いかけること





「実在ではない」けれど…


 長野県木曽地方ゆかりの武将・木曽義仲と共に戦ったとされる巴御前の存在は、いつの時代も多くの人を惹きつける魅力にあふれている。

 放送中のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、従来の美しさにとどまらない強さを備えた巴を秋元才加さんが熱演したことは記憶に新しい。時代が移る中、「美しさとは何か」という提示を含んだ表現は視聴者の心をつかみ、ルッキズム(外見に基づく差別や偏見)などについて考えるきっかけを与えてくれた。

 今から56年前、一人の女性が巴御前について探った記録も興味深い。巴の墓所がある長野県木曽町から北東約100キロに位置する長野県佐久市望月で生まれ育った女性史研究の先駆者もろさわようこさん(97)の巴考のことだ。郷里の歴史を古代からたどり、「おんな」の視点で考察した新聞連載「信濃のおんな」全252回のうち、かなり早い時期に巴について書いている(注1)。

 幼いころから巴御前を知っていたという。「物語の中の有名な女性ですから当たり前に聞かされていました。巴御前は人口に膾炙(かいしゃ)していますので、探ってみたら実在の人ではなかった、ということになったんです」(注2)。

 新聞記者、女性問題を扱う月刊誌編集者を経て、女性史研究に取り組んだもろさわさんは、現場での取材を徹底してきた。この連載で伝説や民話に登場する女性たちについて書くときも、「出来るかぎり原典と現場にあたって事実をたしかめ」(注3)ることを自らに課し、電車に揺られて「巴の名残りをたずねた木曽路の旅」(注4)に出掛けている。鎌倉時代の武将・城長茂の妹で、大力で弓を得意とした女武者・板額を引き合いに出しつつ、巴に関する「根拠たしかな資料は、降りつづく雨の中をたずねた木曽路においては、ついに出会えなかった」(注5)と執筆。『平家物語』『源平盛衰記』『吾妻鏡』を読み解きながら、連載の終盤で、源平騒乱期に巴のような女性がいたであろう可能性があると説明していく。


注1「信濃のおんな」は信濃毎日新聞1966年6月17日スタート。巴御前については連載22-25回(1966年8月11-17日)に掲載された。

1969年に未来社から出版され、毎日出版文化賞を受賞。

注2 2022年6月12日の取材に対して。

注3 『信濃のおんな』(上)未来社、1969年、321頁。

注4・5 同前、55頁。




女冠者 長刀持たぬ尼ぞなき


 もろさわさんは、巴のような存在がいた根拠として、源平騒乱期に流行したある雑歌を挙げている(注6)。『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に収録される「このごろ京に流行るもの 柳黛髪々似而非鬘 しほゆき近江女女冠者 長刀持たぬ尼ぞなき」(注7)というものだ。女武者である女冠者が現れる中、「巴のような女もまたあらわれでたことは、板額の実在によってもおもわれるし、『荒馬乗りの悪所落し』が自由自在なのも、騎女貢納の歴史を持つ信濃の女の伝統をおもうとき、不可能ではない」(注8)と考えたようだ。

 日本における男性中心の生活習俗は室町時代に完成され、身分が固定化された江戸時代に男女差別も厳しくなった――。そう分析するもろさわさんは、それ以前の文献では「女たちが自由だった」姿が見えてくるといい、こう続ける。

 「中世まではわりと女の権利も認められていたし、北条政子のように夫の死後、夫の地位に就いて実力を発揮した女たちがいました。巴御前もその類型として物語の中に登場させられたのではないか、と。女性たちの社会的地位からすれば、巴御前という存在はなきにしもあらずと思います」(注9)。

 一方、怪力伝説については…。「だって物語ですから。怪力の女性は目立つし、変化になるでしょう。実在する人として板額にも触れた通り、いなくはなかったと思うのよ」(注10)。


注6 『信濃のおんな』(上)未来社、1969年、61頁。

注7 『新編日本古典文学全集42 神楽歌・催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』小学館、2000年、284頁。本書には「女冠者」について「男装の若い女か」と注釈が付いている。

注8 『信濃のおんな』(上)未来社、1969年、61頁。

注9・10 2022年6月12日の取材に対して。




対等な関係にみる現在


 女性が男性優位の習俗に押し込まれず、主体的に生きた痕跡は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で巴御前がこれまで以上に魅力的に見えた理由に通じる。木曽義仲と巴御前が尊敬し合う関係として描かれたことについて、巴役の秋元才加さんは放送前の取材でこう話していた。

 「(義仲を)立ててはいるんですけれど、過剰に義仲を上げていない。すごく恋心を抱いている描写もないし、本当に人間として、個として尊敬し合っている関係はすてき。ジェンダーの観点からも対等な関係だなと思いました」(注11)。

 女性が男性の従属的な役割にとどめられがちな時代劇で、自分の思いに従って主体的に生きた女性を生き生きと描くことはなかなか難しい。巴が生きたとされる時代から約850年後に生きる私たちが、秋元さん演じる巴御前を見て勇気づけられたり、感激したりするのは、今なお当時と同じように女性が男性と互いに尊敬し合って生きることが難しい現状への裏返しでもある。

 さらに、女性たちを解放してくれるのは、外見によって価値を判断するルッキズムに一石投じたからだろう。演じる秋元才加さんも「まゆげがつながっている人がメークをしているのは不自然だと思って」素顔で芝居に臨んだ(注12)。他者の判断基準や、人や時代で異なる美の基準に左右されないしなやかさ。巴のそうした在りようが、現代を生きる私たちを改めて励ましたのではないか、とこのごろ考えている。


(著/河原千春)






▲もろさわようこさんが信濃毎日新聞に連載した「信濃のおんな」で巴御前について書いた記事のコピー。1966(昭和41)年8月11~17日に4回掲載された。題字は小説家の平林たい子によるもの。




★河原千春さんは2013年より取材を通してもろさわようこさんと縁があり、2021年には、編集した『新編 おんなの戦後史』(筑摩書房)、編著『志縁のおんな もろさわようことわたしたち』(一葉社)が出版されている。



 

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