「ずっと日本人ファースト」な社会で、いま伝えたいこと
- 春奈 伊藤
- 11月4日
- 読了時間: 17分
11月発売の『戦争と芸術の〈境界〉で語りをひらく―有田・大村・朝鮮と脱植民地化』の著者、山口祐香さん(在日朝鮮人史/日韓関係史)とチョン・ユギョンさん(アーティスト)が、先ごろの参院選以降の日本社会を受けて、対談を行ないました(9月6日収録)。
日本社会に根強い排外主義がさらに激化するなか、ふたりの個人史、その背景にある日本と朝鮮半島の歴史、戦後80周年とアートなど、本に絡んで話題は深く鋭く広がりました。
極右政権が生まれてしまった、この問題の根は?
これ以上「後戻り」しないために、ぜひ読んで、考えて、語ってください。
* * * * * *
他者を受け入れるには、自分が変わらないと
山口祐香(以下、山口):今年の参院選は、これまでのどの選挙よりしんどかったです。私の母は韓国人で、日本で仕事を持って生活し納税もしていますが選挙権はありません。く、「日本人ファースト」とか「外国人は帰れ」とか聞かされていると、どんどん埒外に置かれていって、居場所がなくなるような感覚があって……。私自身は日本籍を持っているので、これまで息苦しさをダイレクトに感じたことはなかったんですけど、今回の選挙では「あ、ついに矛先がこっちに来たな」と感じました。
参政党党首が在日コリアンを指す蔑称を選挙演説中に使っている動画も見ました。そういう特定の人々を指して攻撃したり貶めたりする言葉がネット空間にあふれていて、しかも差別表現だと自覚しながらあえて使っていたのが、すごく嫌だなと感じました。
あらゆるところで言葉がないがしろにされていると感じます。言葉が適当だし、責任を持たないし、いかに言葉で人を煽るかということに重きが置かれていて、しかも支持されている。もしかしたら私のすぐ近くに住む人も、差別的なことを考えているかもしれないと、ふと思えてしまったことが本当にきつかったです。選挙では「外国人問題」というフレーズでイシュー化されていましたけど、問題があるのは「外国人」の方なのでしょうか。実際に日本社会で生活している外国人の状況や歴史的な経緯を全部すっ飛ばしていますよね。
チョン・ユギョン(以下、チョン):僕は福岡に住み始めたのが2021年なんですが、当時から参政党の存在は知っていました。農家さんのあいだで支持者が多いという話も耳にしました。「野菜は GHQの占領期にアメリカから入ってきたものばかりだから、本来の在来種の野菜やお米を育て直したい」という話を聞くと、彼らにとって“原点回帰”や“自立”の語り口が響くのだろうと思いました。さらに、天皇制を強く肯定する言説やスピリチュアルな思想、それらが陰謀論と融合するなど、反米に向かないところが非常に「日本的」だと思いました。ところが、今回の選挙でその矛先が明確に「外国人」に向けられたと感じています。その攻撃性は、僕自身にも向いているようで不安でした。前までの参政党やその支持者は「ネット上で見かけるちょっと怪しい人たち」といった存在だったのが、今は隣に住んでいる人が支持しているかもしれない。そういう現実的な恐怖があります。実際、福岡の天神で参政党の演説会が開かれたとき、主催者発表で約 3,000人が集まりました。また、福岡県選挙区では参政党から立候補した中田ゆうこ氏が2 位で当選し、初めて国会議員になりました。この結果を見ると、参政党が“反自民票”を吸収しつつ、一定の勢力になっているのは確かです。僕のまわりでは、「自民はもうダメだから共産党か社民党、せめて立憲民主」という空気でした。だから、参政党支持者との接触や対話にどう対応したらいいか、ますます難しいと感じています。これからは、文化や歴史の話をしても通じるのか。
山口:複雑なことに耐えられなくなってきている人が増えたのかなという気もしています。社会にはいろんな人がいて、人の数だけ違う価値観、人生があるということが前提で、だから対話が必要だし、誰もが最低限の文化的な生活を送るために公的な支援が設計されてきたりした。でも社会が行き詰ってきた今、「あなたの息苦しさの理由はこのせいなんです」みたいな単純化されたストーリーが受け入れられやすくなり、さらに、ネットのアルゴリズムで自分が好きなこと、見たいものしか情報が入ってこないと、その傾向がますます強化されていく。韓国でも前回の大統領選挙で同じような現象が見られたようですけど、それでも「それって本当に大丈夫なの?」といったところは通る道だから、言葉やアートにはまだやれることがあると思っています。歴史を掘り起していく作業もそのひとつ。それは、ユギョンさんの3月の個展(『꽝!KKWANG!』)でもすごく感じたことでした。
わかりやすいストーリーは安心するし、楽そうにも見えるし、違う人を受け入れるのって考えなきゃいけないこと、学ぶべきことがたくさんある。自分が変わらなきゃいけないところがたくさんあると思うんです。それは大変で面倒なことかもしれない。でもそこを面倒くさいと思ったら、絶対に取りこぼすことが出てきますよね。そのことをどうやったら訴えていけるんだろうかということを、ユギョンさんの個展で考えさせられましたね。私がそんな風に思うくらいだから、ユギョンさんのように在日コリアンやほかの外国人、また今回はとくに女性や性的マイノリティ、難病の人にも矛先が向いたから、そのたびに怒っていかないといけないと思いました。まっとうに怒らないといけない。
ずっと「日本人ファースト」な社会で
チョン:日本人か外国人かという線引きはつねに権力者たちが行うから怖いと思います。そのうち障がい者に「日本人じゃないだろ」って言うようになるかもしれないし、「お前は女じゃない」って国が決めるようになるかもしれない――そういう感じが目の前まで迫ってきているようなしんどさがあります。
山口:かつての戦時中だったときはまさにそういうことが起こったわけですよね。国民という名のもとに生き方を規定され、いつしか戦争に巻き込まれていく。そこから80年かけて、そうならないようにと歩んできたはずなのにという徒労感もあるし、80年経つとこうなっちゃうんだ、という思いもあります。
チョン:参政党は徴兵制と核の話題も広げていましたよね。日本ではよくバカにする意味で「北朝鮮みたい」という言い方をしますけど、参政党のその主張にこそ北朝鮮っぽさを感じました。しかも支持者たちは北朝鮮、朝鮮半島をバカにしてもいるので、その北朝鮮の方法を見習っているのが、なんというか……(笑)。唯一の被爆国だから、どう核を持たない世界を作るかということを明確に言い出せる国なはずなのに、馬鹿にしている国の手法を真似しようとしてる。「日本人ファースト」と言う割に、なぜ自ら首を絞める方向に行くんだ?という。
山口:そもそも「ファースト」は英語ですよねって思ってました(笑)。
チョン:まさに言葉を雑に扱うことだし、自分たちが出した言葉すらすぐに否定するし、思考することを放棄してるんだと思います。自分たちの主張が社会のなかでどう客観的に見えるかというすり合わせもできていないので、論理的思考が見えない。でもそこに惹かれてしまう民衆がいるということは、みんな思考する面倒くささを放棄してしまっているのかな。
よく、支持者たちに対する分析として、「外国人の友だちがいないからだ」「外国との交流を持てば排他的な思想はなくなるんじゃないか」というのを聞きますけど、僕はその効果について疑問を感じます。在日として生きてきたせいかもしれないけど、仲良くなったからって相手の思想が変わるとか、自分の苦しさを解放する理由にはならないのかなって。ちょっとポジティブすぎないかな?と思う。
山口:それこそ日韓関係においても、「交流すれば人の視点は変わるのか」という議論は常にあります。交流人口は増えているけど、歴力認識問題は必ずしも改善したとはいえないですよね。旅行に行って消費するような軽い接触じゃなくて、他者の視点を自分の中に獲得したり、自分の視点を切り崩していったりするような経験や思考がないと。「交流」だけでは難しいのかなと思います。
チョン:「交流」は昔から常にあったのに、今この惨状ですもんね。そもそも日本は日本人だけで成り立っていないのに、「ファースト」などと差をつけることを疑わないのが浅はかだと思ってしまう。
山口:今年の広島県知事の演説にあった「抑止力はフィクションだ」といったフレーズはいいなと思いました(*)。たとえば「日本」というものもフィクションだし、国家とか民族とか人種も本来フィクションで、みんなが「そういうものがある」と認識することによって成立する社会的な構築物にすぎないのに、あたかも昔から存在した、動かせないものだとして話していることに立ち止まって考えてほしい。でも、普段の生活ではなかなかそうは思わない。「日本人だし」とか「普通の日本人」という言い方は、私もポロっと使ってしまうことがありますが、常に自分の認識を問い続けながら考えなければと思います。「普通」というものに疑問持たないでいられることが「マジョリティ」という言葉があります。だから、「外国人も移民も私たちの権利を侵すから、文句があるなら国に帰れ」といったことをさらっと言えてしまう。でも、この社会はずっと「日本人ファースト」でした。日本人以外がファーストだったことはない社会です。それが伝わらないことが、すごくもどかしいです。
*2025年8月6日、湯﨑英彦広島県知事による平和記念式典挨拶。「抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではない」。
見えない境界線と複雑さを可視化するアート
チョン:「日本をファーストに!」もフィクションなんだけど、それが絶対正しいと信じる人たちにどう歩み寄れるのか、このひどい状況においてアートもアカデミアも課題だと感じていて。今回の本は、その入り口になればいいなと思っています。
山口:そうですよね。ユギョンさんの作品自体が、「境界」の話をずっと通底して描いていると思っています。とくに「大村焼」(*)の一連の作品は、日本と朝鮮半島の関係、南北分断、そこにまたがっている状態のユギョンさんの収まりの悪さ、居心地の悪さ、そういう状況をつくった構造への怒りが表されている作品だと理解しています。
私たちの生活にも、目の見えないボーダーがたくさん引かれているから、本当の意味ではみんな対等に話せているわけでもないんですよね。誰かの生活が誰かを搾取したうえで成り立っているとか、自分と同じ立ち位置に立てない人、自分と同じ目線で社会を見ることが叶わない人たちがいる。そういうことを、この数年ユギョンさんの作品を知るなかで、気づかされました。なかでも強く思ったのは、「国家」なるもの以前に「人」がいるのだという当たり前のことです。つい「ナニジンですか? どこから来たんですか?」という言葉につられてしまいがちなんですけど、その人を「ナニジン」たらしめているものには複雑な歴史や国家の暴力が絡んでいる。単純にひとつに収まりきれない人がたくさんいるのに、すぐ「ナニジンですか」と聞けてしまうこととの暴力性を自覚してなきゃいけないと思います。
有田に朝鮮人をつれてきて陶工にしたように、ある日突然、「日本人にします/朝鮮人のままにしておきます」とか、戦後、大村収容所(現・大村入国管理センター/長崎県大村市)に入れられた人たちに起こったように、日本の敗戦を経て「日本人」と「旧植民地出身者」の間に線引きがされた。在日のなかでも南か北か線引きをしてきた。国家は暴力的に人の間に線を引くものだということを私たちはもっと知っていないといけないし、その歴史は覚えていないといけないと思わされました。でないと、「日本人ファーストって言っても差別はしていませんよ」とか、「女性差別はしていません、女性は本来そういうものです」とか、人の生き方を決めようとしてくる。人に優劣の差をつける社会はいつか誰にでも矛先を突きつけうる、それは歴史が証明していることです。
*戦後、長崎県大村市にできた「大村収容所」と、朝鮮人陶工たちが作り上げた有田焼をモチーフに、陶製手りゅう弾を模した架空の焼き物「大村焼」と、同コンセプトの絵画などの作品群。

「私が私であることを表す言葉が、世界にはまだない」
山口:私は母親が韓国人だから、思春期の頃は「どれだけ日本人になりたくてもなれないんだ」「血が半分、日本人じゃないな」と考えていた時期がしばらくありました。かといって自分を韓国人だと思っていなかったので、悩んでいたんです。今回の本にも書いたことですが、その時期に会った沈壽官さん(薩摩焼の陶芸家の当主)から、「君はそのふたつを持っていることが大切なんだ」と言っていただいて、「どちらかひとつを選ばなくていいんだな」と思えてすごく楽になりました。それまでは、日本で生きていくには日本人らしくいなきゃいけないと自分にプレッシャーをかけていたからです。当時を振り返ると、自分が何者かわからないとか、生きる先に漠然とした不安があると、強いメッセージや「誰かの物語」が刺さるし、自分も同じように抜け出せるんじゃないかとか、思ってしまう。そういうことは誰にでもあることなのかなと思います。「こうあるべき」と自分で自分に課すのは、すごく苦しいことだったと思います。
少し前、研究者仲間たちと共著で書籍を出しました(『日韓スタディーズ2 「日韓」を超えて――交差する文化と境界』ナカニシヤ出版)在日コリアンや日本人のアーティストさんたちの座談会をまとめた本です。そのなかに、京都の東九条出身で、パンソリなど朝鮮の民族芸能に親しみながら育ち、演劇をしている日本人の方が登場します。育った環境が環境から、自分のことを「在日」だと思いながら生きてきた方なんですが、ある日親から「いや、あんたは両親とも日本人だし、日本人だよ」と言われたり、在日の友だちから「あんたは民族学級に入れないよ」と言われたりしたんです。そのときに、「私のなかにはあの文化が間違いなく流れているのに、なぜ私はそこに入れないのか」と強く思ったそうです。さらに、そういう文化がある地域でずっと活動もしてきたから、「私が私であることを表す言葉が世界にはまだない。私のありようを表す言葉がない」と話していたのが、すごく印象的でした。国籍は日本人だけど、慣れ親しんだ地域で身につけた文化性や生活感覚には確実に朝鮮文化が入っていて、一方で日本の文化もわかっていて、日本語も朝鮮語も話せる。自分のことを「赤と青が混ざった紫くらい」だと思っているのに、その状況を表現できる言葉がないと言うんです。日本人とも韓国人とも在日というのも違う、「私はこれこれこういう日本人です、あるいはコリア系日本人です」といった言葉がないんです――という話をされていて、むちゃくちゃわかるなって思ったんですね。その場にいた在日の方、朝鮮籍のアーティストさんたちが、「ああ、なるほど」って言っていたことも印象的でした。
同じようなことを、ユギョンさんの作品にも感じました。ややこしさ、複雑さを言語ではない形で表そうとされていて、可視化していくところが。
チョン:福岡に来て「大村焼」を始めてからはそういう意識が強いかもしれません。たとえば自分のバックグラウンドが複雑な場合、アートではインスタレーションとして空間になにか物を配置したり、映像作品で歴史資料と合わせて見せるという表現が多いんですけど、僕は目には見えない境界線というものを描いているから、写真や映像には収められないというのが前提としてある。そうなると絵しかないかなって感じなんです。世界にはいろんな絵画がありますが、基本的に絵を描くという行為は、三次元の世界を二次元の平面に置き換えようとする試みだと思うんです。現実は立体なのに、キャンバスは平面。その矛盾をどう扱うかという点で、絵画はもともと少しねじれた表現形式だと感じています。人類は長いあいだ、遠近法や陰影などを使いながら、平面のなかに奥行きを生み出そうとしてきた。僕はそのねじれを受け止めながら平面の上で想像し直すこと、あるいは再構成することで、自分がどう境界線と関わっているのかが浮かび上がってくるように感じています。だからこそ、絵画は現実との関係を捉え直すひとつの方法なんだと思います。
山口:人のありようや背景の歴史や地域のあゆみには、目に見える形では回収できないことがたくさんありますよね。にもかわらず、単純化したり選別していこうとする力が出てきていて、それが行き過ぎると過去に逆戻りしてしまうので、なんとかこれ以上行ってしまわないように、立ち止まれるように何かできないかと思います。
たとえば私の母親が50年以上日本に住んでいても選挙権がないこと、日本で生まれ育った在日コリアンが選挙権を持たないことを知らない人って意外と多いですよね。すぐ隣にいる人への想像力も持たずに暴力的なことを言えてしまう状況を見ると、まだまだ訴えていかないといけないこと、やれることはたくさんあると思います。今回の本にも書きましたが、古代日本のなかの朝鮮文化について書いた在日コリアンの兄弟が50年前に書いた文章も、昨日書かれたみたいに励みになる内容なんです。たいして状況は変わらないというのはしんどくもあるけど、同じように訴えていく方法、どうにか声を上げる方法が、文化のなかにはまだあるのかな。そう思ってやっていくってことが、抗いでもあるのかなと思っています。

アジアへの視点が抜け落ちたままの「戦後80周年」
山口:終戦80周年ということは、韓国でいうと解放80周年の節目なんですよね。原爆や空襲、戦争の悲惨さを訴えるのは大切だと思いますが、そういう物語のなかにはやっぱりアジアへの視点が抜け落ちてしまっている。そのことは、最近のドラマなどを見ながら感じることです。朝ドラの『虎に翼』に朝鮮人留学生が出てきて、戦後の姿も描かれたことがエポックメイキングだといわれるぐらい、私たちが触れるメディアに旧植民地出身者の姿も視点もなかった。広島では今年初めて朝鮮人被爆者の式典が行われたように、まだまだ知られていないことが多いし、アジアからの視点も、加害の歴史に対する知識も足りていないと感じます。
その意味でも、今回の本がアジアからの視点の脱植民地化を考えたり、九州という「地域」から見たりすることも、大事だと思っています。その点で「大村焼」はとても効果的です。
チョン:アートの話題では、東京の国立近代美術館で戦後80年の展示がSNSでバズっていました。戦前、日本の美術家がいかに国家に回収されてプロパカンダ的な絵を描いたかとか、雑誌メディアなども含めて検証する展覧会です。ほとんど広報がされていなかったので、国立の美術館だから自己検閲したのかとか批判的にも話題になっていました。国立ハンセン病資料館でも80周年の展示をしていたように、ものが残っていれば語りやすい面もあるから、特に美術館や博物館は収集して見せていく動きはあると思います。
今年は日韓国交正常化60周年という節目の年でもあり、12月からは横浜美術館で韓国の国立現代美術館との共催展が予定されています。とても意義のある企画だと思う一方で、個人的には、そこに「在日」という視点がもっと含まれてもいいと考えています。まだ始まっていない展覧会なので、あまり言ってもしょうがないですが、いまこの社会のなかで在日として生きる人たちの現実や表現を紹介する展覧会もきっと可能だし、見てみたいですよね。今だからこそ意味のあるテーマになり得ると思うんです。ただ、美術館の現場では、学芸員の方々が限られた時間やリソースのなかで多くの業務を抱えている現状も理解しています。そうしたなかで、どうしてもすでに評価が定まった作家を中心に構成する方向に流れやすいのかもしれません。それは展覧会の安定性や持続性を保つための選択でもあると思います。だからこそ、そうした大きな展覧会の枠組みのなかに、在日コリアンの視点や新しい世代の声をどのように織り込んでいけるかを、美術館とアーティストの双方が一緒に考えていけたらと思っています。
僕自身、終戦から80年、朝鮮戦争から75年という節目と遠くない作品を作っているし(*)、戦争や分断の歴史は決して過去の話ではないと考えています。日本は朝鮮戦争にも深く関わっていたにもかかわらず、そのことを批判的に検討する場は依然として少ない。もちろん、個々のアーティストが意識的に取り組んでいる例はありますが、もう少し公共の文化機関がそうしたテーマを扱う機会を持ってもよいのではと思うことがあります。排外主義が強まり社会が閉じていくほど、公共機関は批判やリスクを避ける傾向も強まるでしょう。そうした現実を踏まえつつも、僕自身は自分にできることを丁寧に続けていきたいと思っています。もう少し広い場に呼ばれてもいいのになという気持ちも正直ありますが(笑)。
山口:3月に福岡アジア美術館の企画展で在日コリアンの画家たちのコーナーがあってみたんですが、小さくとも良い展示でした。作品解説に時代背景も説明されていて、戦前の日本で絵を学んだ人たちの作品とか、日本にいながら祖国の状況を考えながら制作された作品とか、日本と韓国に回収されない存在としての在日のアーティストを紹介する展示でした。
朝鮮戦争もその後の民主化運動も、もとをたどると日本の植民地だった歴史が間違いなくあります。だから、そこは切りわけずに、日本が関わったアジア各国の歩みは合わせて見ていくべきだと思います。
*日本の植民地支配の延長線上にある「朝鮮籍」、南北分断、徴兵といった大文字の歴史が、今なお自身の生活や仕事に関わっていることに触れている。チョン・ユギョンさんは、「朝鮮籍」から韓国籍に切り替え、2017年から韓国でアーティストとして生計を立てていたが、翌年、韓国兵務庁から「3年以上韓国に居住する場合は徴兵対象となる」といった書面が届き、2020年末にやむなく帰国。「大村焼」はそうした経験も踏まえて生まれた作品群である。