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【新連載】岩手・北上の路傍で「家」「国」に抵抗した「農婦」と「おなご」たちの連帯

更新日:2022年6月29日




各地の女性史・ジェンダー史から知る戦争を綴るリレーエッセイです。

土地に根づいてきた「国家」「中央」「家」への抵抗の精神は、ときに粘り強いフェミニズムを育ててきました。そこで女性たちが戦争とどうかかわり、何を考えてきたのかをたどります。


第1回目は、故郷・岩手の〈おなご〉たちとの出会いを通して、連綿とつながれてきたフェミニズムを受け取った柳原恵さん(立命館大学産業社会学部准教授)。

著作『〈化外〉のフェミニズム 岩手・麗ら舎読書会の〈おなご〉たち』(ドメス出版)では、東北のリブ、女たちが安心して言葉を交わせる場づくり、「戦争未亡人」の抵抗、戊辰戦争……と、〈おなご〉たちの歴史と現在を行き来しながら目の覚めるような「土着のフェミニズム」を見せてくれました。

ここでは、路傍に立つ小さな墓を通して「家(代々墓)」「国家」を否定した女性たちの話をお届けします。


(※本連載のタイトル「土着のフェミニズム」は柳原恵さんの『〈化外〉のフェミニズム』より拝借しています。)

 

*貧しい農婦が建てた「不思議な墓」



▲写真1:現在のセキの墓(筆者撮影)


岩手県南の内陸部に位置する北上市和賀町。ここにはある貧しい農婦が建てた不思議な墓がある(写真1)。一見すると、何の変哲もない墓に見えるかもしれない。街道沿いの墓地に建つ、「南無阿弥陀仏」とだけ彫られたこの墓は、かつて路傍の往来側に正面を向けて建っていた。

墓を建てたのは和賀の農婦、高橋セキ(1966年没)である(写真2)。和賀郡藤根村(現・北上市和賀町藤根)の貧しい農家に生まれ育ったセキは、隣村の農家に嫁ぎ、一人息子千三をもうけるが、千三が2歳の時に夫が病死する。当時、この地域では夫に死に別れた女性は子どもがあっても婚家に残すか、子どもを連れて出ていかなければならなかった。セキは千三を連れて実家に戻り、庭の茅葺小屋に筵〈むしろ〉を吊して住まいとし、女手一つで息子を育てた。千三は小学校を卒業すると和賀川の堤防工事現場や和賀仙人鉱山(和賀郡西和賀町)で働き、母を助けた。



▲写真2:高橋セキ(出典『石ころに語る母たち―農村婦人の戦争体験』未来社、1964、54頁)


1942(昭和17)年のある日、千三の元に召集令状が届く。セキは、「これまで、千三をオレの子どもだ、オレの子どもだ、と思っていたが、間違いだったス。兵隊にやりたくねえど思っても、天皇陛下の命令だればしかだねエス。生まれた時がら、オレの子どもでながったのス」と語ったという(小原徳志編『石ころに語る母たち―農村婦人の戦争体験』未来社、1964、56頁)。1944(昭和19)年11月、千三はニューギニアで戦死する。

かつて岩手の農村は、生活の貧しさと閉鎖的な社会システムを背景として、「従順で忠勇な皇軍兵士の供給源」(小田嶋恭二「高橋峯次郎と七千通の軍事郵便」『国立歴史民俗博物館研究報告』第101集、2003、212頁)となった。人口3,000人ほどの藤根村では、十五年戦争で延べ727人が出征、男子村民の約3分の1にあたる135人が戦死している(同前同頁)。



*「戦争未亡人」の受難


夫を亡くし、農村の中で一人生きる「戦争未亡人」たちの苦難が、『あの人は帰ってこなかった』(菊池敬一・大牟羅良編、岩波書店、1964、164頁、182-184頁、41頁)の中に綴られている。それは「男手」がないために農業の力仕事で苦労すると言うよりも、「男子が居ないがために、ことごとに軽視され、蔑視され、果ては除け者あつかい、でなければ“不憫者あつかい”、要するに一人前としてはあつかってもらえない」(同前164頁。強調原文)ことに起因する苦難であった。加えて、年若かった「戦争未亡人」たちは村の男たちにとっての格好の性的対象ともされた。「“未亡人は身をつつしんで亡夫の霊をなぐさめろ”なんて言う人たちが先に立って未亡人に手を出している」、「国から遺族年金下がるようにしてやるから――って面倒みてくれた男に、後から手を出されて困った」、「夫が戦死したら、舅が手を出して困った。言うことを聞かなかったが、“それなら子供バおいて出て行け!”って何回もいわれた」(同前、183-184頁)という証言から、その苦境が察せられよう。和賀の「戦争未亡人」のひとり菊池マサノは、「オレハきかねェ(気の強い)女〈おなご〉だっちゃ」、「寝床さ鎌入れて寝てるんだからナッス。おっかねぇ女〈おなご〉なんだっちゃ」と気を吐き、「蛇の皮、頭からグレグレとむくって(むいて)、『オレ、こういう女〈おなご〉だっちゃ』って、男さ見せ」て、「かむべとする(いじめようとする)男」に対抗した。男たちは、「ほう。この女〈おなご〉だればハ、夜〈よ〉べ(夜這い)にもへェられねェ」と笑うばかりであったという(同前、41頁。補足原文)。




*ひとりで小屋に暮らす女と、それを支えた女たち


息子を失い、再婚もしなかったセキは、戦後もひとり小屋に住みながら、農業の日雇い労働で糊口を凌いだ。爪に火をともすような生活の中でわずかな賃金を貯め、1955年4月、路傍の往来に向けて息子の墓を建てた。

「牛や犬の死んだようにしたくねえと思って、ながい間に少しづつためた金で墓石つくってやったす。オレ死ねば、戦死した千三を思い出してくれる人もなく、忘れ去られでしまうべと思って、人通りの多い道のそばさ建でだス」(小原徳志編『石ころに語る母たち―農村婦人の戦争体験』未来社、1964、54頁)と、その理由をセキは語っている。

実はセキがこのような墓を建てた背景には、和賀の女たちの支えがあった。東北の農婦たちの聞き書き本を上梓した作家・石川純子(1942-2008)によれば、息子に墓を建ててやりたいと願うセキに、「南無阿弥陀仏って、オメ(あなた)は誰も拝んでくれる人いねんだから、道ばた通る人たちさな、拝んでもらう方いんだ(いいんだ)」(筆者による石川へのインタビューより。補足筆者)と助言する、地域の女性たちがいた。

セキと女性たちは隠し念仏〈かくしねんぶつ〉の信仰仲間であった。隠し念仏とは、岩手県南部が発祥の地と言われる念仏信仰であり、異端として弾圧されてきた歴史も持つ。和賀は、「念仏と食い物は一口でもありがたい」という言葉が残る「隠し念仏の里」(門屋光昭『隠し念仏』東京堂出版、1989)なのであった。



*代々墓を捨て、「家」から解放される

和賀の詩人、小原麗子(1935-)は、1985(昭和60)年よりセキと千三を悼む年忌・千三忌を営む。小原の姉は、戦時中、病のために「嫁」として銃後の守りに専念できないことを詫びながら自死した。小原は姉の死をきっかけに、「家」と「国」を批判的に考察してきた先駆的フェミニストでもある。『石ころに語る母たち』を通じてセキを知った小原は、「家」に属さず女ひとり、村の中で戦後を生き抜いたセキの生き様に感銘を受け、自ら「墓守」を任ずるようになる。

小原は、生前のセキに思いを巡らせこのように記す。


「きかない」ということで、セキさんはその身内から嫌われていたという声も聞いた。それは、戦争未亡人たちが、「オレハきかねえ(気の強い)女〈おなご〉だっちゃ」「寝床さ鎌入れて寝てるんだからナッス。おっかねェ女〈おなご〉なんだっちゃ」と言って、蛇の皮を頭からグレグレとむいて見せ、男たちの好奇心をはね返した「きかなさ」(気の強さ)に通じるものではなかったろうか。再婚を断わり、自分の意志で墓を建てようとすれば、気も強く、めごみのない女〈おなご〉になるだろう。セキさんは、身内の葛藤、所有の垣根から自分も千三も解き放そうとした。それが、万人にむけての南無阿弥陀仏であり、墓石の位置が路傍であることの意味なのだ。(小原麗子「蘇るばあさまたちの心―セキさんの「意志の墓」によせて」『民話と文学』第17号、1986、101頁)

戦前、天皇は国民の「家」を束ねる「国父」であり、国民はその「赤子」であった。「家」と「墓」(代々墓)は不可分である。セキは、「南無阿弥陀仏」とだけ記された、「家」に属さない墓を道端に建てた。それは、「天皇の赤子」として徴兵され、戦死後も「英霊」として国家に支配される息子の魂を、地域の女〈おなご〉たちによって綿々と繋がれてきた土着の信仰をよりどころに、「オレの子ども」として自らの手元に取り戻す行為でもあったのではないか。

地域の女〈おなご〉たちが経験してきた戦争。直接の戦争経験者が少なくなっていく時代に生きる私たちは、どのようにこの「不思議な墓」に向き合っていくべきなのか、問われている。






◆もっと読みたい方へ◆



タイトルにある「化外〈けがい〉」とは古来、朝廷から見て遠く外にある地のことであり、中央から疎外され、周縁化された、いわば蔑称。一方で東北には、自らの足場で思考して中央批判につなげる「土着の思想」があった。これは女性たちにもあてはまり、東北で生き、練り上げた独自の思想があった。近代批判としてのフェミニズムを、都市部とは違う近代化を経験した「おなご」たちの膨大な言葉から読み解き、東北フェミニズム思想史を打ち立てた記念碑的著作だ。

著者は、ウーマンリブ世代のフェミニスト、石川純子と小原麗子と出会い、ふたりと対話を続けた。副題にある「麗〈うら〉ら舎」は小原が開いた読書会で、ここでも女性たちへのインタビューを重ねている。さらに、詩やエッセイなどの生活記録も調査・考察。「おなご」を一人称として土地で練り上げられてきた思想は、「ウーマンリブ」「東北の農婦」「近代化」「高度成長期」などのよくある語りを力強く砕いていく。18年度、第13回女性史学賞受賞。



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